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日創工業株式会社 社員インタビュー

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はじめて造った特装車を送り出す日。
私は誇らしさと、一抹の寂しさで胸がいっぱいになった。

[さとう・まさき]
1973年生まれ。工業高校卒業後、大手印刷会社の関連企業に就職。
製版機のメンテナンスに携わる。1999年日創工業に入社。
製造の作業を経験した後、営業一筋に20年。
日創工業の顔として多くのお客様の信頼を集めて来た。

一部上場企業から、小さいけど絶対になくならない会社への転身。

 「この会社は絶対になくならない。時代が変わっても需要が一気に減るようなこともないし、海外に技術移転しようとしても無理だから」従業員5千人を超える大企業から、10人にも満たないこの会社に転職するときに、当時の社長から、そう言われたのを覚えています。確かに20年間営業をやってきましたが、2008年のリーマンショックのときを除いては、仕事がなくて困ったことは無いに等しいといえます。
 もうひとつこの会社ならではのいいところを挙げるとすれば、「小さい」ということです。お客様からすれば「小回りが効く」し、「対応も早い」社員からすれば「やろうと思えばなんでもできる」し、何と言っても「アットホーム」な社風。チャレンジ精神旺盛な人なら、マルチに活躍できるチャンスがあります。
 おまけに、そんな「小さい」ことの良さを備えながら、飛鳥特装グループという資本力のある専門企業集団に属しているから、「小さい」ことのデメリットが最小化されてるというのも、大きな特長ですね。すいません。根っからの営業マンなもので、つい会社の宣伝が長くなってしまいました。

はじめて見た、無口・頑固・へそ曲がりな職人たちの仕事ぶり。

 入って間もない頃、私は製造に携わっておりました。最初に造った(というより造る人の小間使いですね)車は、レスキュー隊が使う「救助工作車」でした。火事で逃げ後れた人や倒壊した建物から人を救い出すときに使う車で、油圧クレーンや照明器具、それらを動かす発電機に、梯子や破壊工具など様々な装備を積み、別名「動く工場」と呼ばれる車です。
 この会社で造る車の中でもかなりヘビーなスペックで、設計図を見た時、私は正直尻込みしました。でも考えているヒマもなく、とにかく腰を上げた職人さんたちの手足となって、必死に働きました。
 職人さんたちは無口ですが、皆脇目も振らずによく働きました。その様子を見ていると、時折手をとめたかと思うと、じっと一点を見つめていて、休んでいるのかと思えば、突然「よし」と言って膝を叩き、また一心に作業をはじめたりすることがありました。わたしはこれを見て「ははあ、作業の段取りとか、どうやったら綺麗にできるか考えているんだな」と思いました。職人にはひとり一人頑固な美意識みたいなものがあって、そこへ立ち入られるのを嫌がります。
「出来上がってから、たっぷり拝め」。
代弁すれば彼らの言いたいことは多分そういうことです。
 

小さいけれど、もう少しだけ大きくなりたい、いまの日創。

 最初にこの会社のいいところは「小さい」ことだと申し上げましたが、需要は引きも切らないので、正直人手が欲しいことは確かです。
 人を入れたら会社が大きくなってしまい、「小さい」ことの良さがなくなってしまうんじゃないか、というご指摘は至極ごもっともですが、スペース的にも、体制的にも、許容量はまだ十分あると思います。
 少なくてもいまの倍くらいになっても、「小さい」良さを失わずに、製造のキャパシティは広がるので、より多くのお客様のご要望に応えられるはずです。できればそれを実現して、飛鳥グループのなかで、日創が得意とするフィールドにおけるシェアを広げて行きたい。それが今私の抱いているこの会社の将来像です。

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